お掃除します。

掃除をする日々、また掃除に対して思うことなどを綴ります。

「いい人」という訳ではない話し。

臆病なので、通りすがりの人が気分が悪そうにしていたり倒れてたりした場合、
「これ大丈夫なやつ」と判断した場合しか声をかけません。
ガチなやつだと怖くてダメなんです。


かと言って通り過ぎることも出来ず、離れた場所から「どうしよう・・」「とりあえず救急車?」とか考えている間にどこからともなく「いい人」が現れてその人を助けてくれるパターンが多いです。



それで昨日、大丈夫かガチか判別つかない事例がありました。


昨日は雨が降っていて、コンビニ前の広い駐車場の端の方におばあさんが傘もささず両手に荷物を持って杖をついて立ち尽くしています。
ずぶぬれだし、身ぎれいでもなく、おかしな人なのかなという感じ。


私はそれをかなり遠くから目撃していたのですが、
状態がいつまで経っても変わりません。


フラフラしてます。今にも倒れそう。


でも決定的なこと(倒れるとか)がないためか、みんなおばあさんの横を通り過ぎていきます。


おばあさんから目が離せないまま、段々私が近づいてしまう。困ったと思いながらも、
「何かお手伝いすることありますか?」と口から出てしまいました。


そうしたらコンビニへ支払いに行かなくてはならないけど腰が痛くて一歩も歩けない。帰りはタクシーを呼ぶつもりと話してくれました。


ああ、よかったガチではありませんでした。


でもそれで安心して荷物を持ってあげて傘をさしかけてあげて、コンビニまで身体を支えるんですけど、本当に一歩進むのも困難。どうしたもんかと途方にくれました。


途中、コンビニへ向かう若者やおっさんどもが目もくれずに通り過ぎていきます。
「この状況観ていて、よくそんなことできるもんだね!人でなし!」
と憤りを感じましたが、天につばを吐くとはこういうことですかね(冒頭の自分)。


10分ぐらい経過してもまだ目の前のコンビニへたどり着けません。
おばあさんにいったん待っておいてもらってコンビニへ助けを求めにとも思いましたが、
そこがゆるやかな坂道で、とうていここで手を放すのは難しそうでした。


そうこうするうちに、一人のおばさんが「手を貸しますか?」と声をかけてくれて!


それで私の荷物とおばあさんの荷物をもってもらって、私の肩に完全にもたれかけた状態で、ほとんど抱えるような感じでコンビニまで進みました。


まだまだ時間はかかりますが、さっきよりは進みます。


ようやくコンビニに着いて、店員に事情を話してまずは椅子を持ってきてもらっておばあさんに座ってもらい、あとはタクシーをよんであげてくださいとお願いして立ち去りました。
まあつまりはコンビニに丸投げですけど、「大丈夫」なおばあさんだったので特に問題はないと判断しました。


それでここからが本題ですが(長い!)、
これで私は自分が「いいことした」とか「自分はいい人だ」とかいう気持ちが特に起きなくて、それより異常事態に対して少し耐性が出来てきてるのかなと思ったんです。


ずっと田舎暮らしで、大学受験で東京に出てきた時に駅とかで意味不明に叫んでいる人とか、人が倒れていてそこに警察がいて・・とかいうのを何度も目撃してかなり衝撃を受けました。
もう怖くて怖くて、早く田舎に戻りたかった。


こちらに住むようになってから10年ぐらいしたときにも、ハロウィンの夜の渋谷で頭から血を流して倒れている外人を観たときは(30メートルぐらい離れていたけど)怖くてしばらく渋谷に行けなくなったぐらいです。


田舎は何もなくて平和ということではなく、東京が異常事態が頻繁過ぎると思うのです。


それでもう今年で上京30周年ということで、自分の中にこの異常に対して鈍くなった感覚があるのかもと思いました。


それで冒頭の「いい人」も案外そうなのではと思い至っています。


きっと救急隊員とか医者だったら、路上で頭から血を流して口から泡拭いて痙攣している人を見たとしても、「捻挫ですか?」ぐらいの感覚で受け止めることが出来ているんではないでしょうか?。
ちょっとうらやましいなと思いました。怖いものなしですよね。


結果、「良いことするからっていい人ではないのでは」というお話しでした。


先日の書類整理のときに、
苦手書類整理、無事終了。 - お掃除します。
同じ引き出しに入れていた娘の母子手帳ケースの中から出てきました。


これ、真ん中の紙を引くと、

自分が真ん中に居るというやつです。


幼稚園の年長さんのときに作ったものです。
とってあったのをすっかり忘れていました。


これ、なんで幼稚園の年長さんのときだとわかるかというと、
裏が「運動会の招待状」になっていたんです。
幼稚園で作らされたんですね。つまり先生に私たち夫婦がそのとき喧嘩中であることを娘が曝したのでありました。
思い出せば、先生に会ったときに笑いながら「喧嘩されたんですか?」と言われたような気がします。


懐かしいなあ。
今では娘も私たちの夫婦喧嘩に多少は耐性出来たみたいです。良いことではないですけど。

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