お掃除します。

掃除をする日々、また掃除に対して思うことなどを綴ります。

断捨離はモノを減らすためだけに非ず


今日から世の中は三連休ですが、私は最後の四日は本社の会議があり残念です。


前の記事に書いたように、本社とは隔たりを感じていて、今ではそれはかなり気のせいの部分があったと理解しているのですが、未だ引きずるものはあります。


自分の仕事は楽しいし順調だし不満はないので、毎日それなりに充実していますが、
本社絡みの仕事(会議)はいつも憂鬱です。


話しは変わって、今日は朝からすごく良い天気。
久しぶりに盛大に洗濯ができて、気持ち良いスタートです。


そのあとは月に一度のヨガレッスンに行ってきました。


先生から今日は断捨離のお話しがありました。


すごく深すぎて、今、一度に全部を書くことは出来ないのですが、
総括すれば、いろいろな囚われていること・・・例えば欲望や人間関係や、
そういうものを捨てたり、そういうものから離れたりするための練習が断捨離であるということのようです。
意識して捨てる。意識して離れる。


私たちは、「こういう風になりたい」とか「こういうものが欲しい」と夢を描き努力することで成長したり、ワクワクしたりするものですが、それに囚われていると期待通りでなかった場合、怒りや落胆を感じる。そもそもそんな欲を持たなければ、心身の不安定は起こらなかった。
つまりは自分自身でわざわざ怒りや落胆に通じるようなことを引き起こしているというのです。


そうしてそういうことにいちいち傷つかない強いメンタルを育てる修行として、
断捨離はあるのだという内容でした←かなり意訳。


たまたま前の記事で以前の仕事の辛かったときのことを書きましたが、
そして今日の記事でも書きましたが、未だに気持ち良くすっきり働けているわけではありません。
でも生活のために仕事はしなくてはならないのです。
辞めるという選択肢は今のところないと思っています。


そんなときに偶然、ヨガレッスンでこのようなお話しを聴くことが出来ました。
まるでカウンセリングのようです。


だったら、「捨て行」「離行」を行って、余計なことに気持ちをもっていかれないようにしなくてはならないのではないかと思うのです。


今までは「いらないものを捨てる」や「ものを減らす」ための断捨離でしたが、
メンタル建て直しのための「行」としての断捨離をするときがきたようです。

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