お掃除を信じて。
今日は娘が一日不在なので、夕飯は自力で作る予定でした。
白菜のクリームシチューと厚切りのトーストとワインというのが、
私の立てたメニュー。
ところが仕事が終わりかけの頃、以前職場が一緒だった友人から、
「お茶しよー」と電話。
突然過ぎて断る言葉も出てこなくて。
会って話したいことがたくさんあったのですが、
自分の中に「計画」←白菜のクリームシチューと厚切りトーストとワイン
があると途端に彼女に「狂わされた」気がしてしまうのです。
断れば良いのに、断れず、そして勝手に不機嫌な気持ちに。
憂鬱と思いつつ向かいましたが、実際に話すと楽しくて、
良い時間を過ごしました。
私はちょっと調子に乗ってしゃべり過ぎて後悔するパターンがよくあるのですが、
なぜか彼女と話すときはあまりそれがないのです。
なのでどうせ話せば楽しくなるに決まっているのに、
まずちょっと「嫌な気持ち」からスタートするという・・。
人間関係では、誰と一緒にいてもいつも疲れることが多くて、
何をするのも「一人がいい」と思い、なのに実際はお一人様は苦手。
自分で自分が面倒くさいです。
一日24時間の中で、度々頭に不快な気持ちが浮かんできて、
仮想敵が次々に現れて、勝手に怒ったり疲れたり悲しんだり。
毎日無駄に頭の中が疲れているのが実情です。
だからこそ、
無心でやれて、
やったことで自分を正しいと思うことが出来て、
更に快適さを味わえる「お掃除」という完璧な存在がありがたい。
もう、これは宗教ですね。