お茶する夜に考えた。「きちんとする」の哲学。
ゆうべはフローリングワイパーでの床掃除をしたあと、
勉強中の娘を呼んでお茶をいれました。
お茶菓子は、酒まんじゅうとクッキー。
寒くなってくると、夜は最後寝る前に暖かいお茶で〆たくなるのです。
先日、某有名ブロガーさんが、お菓子は袋ごとだとたくさん食べてしまうので、
器に移して食べますというようなことを書いていました。
たくさん食べてしまうということではなく、
↓この本を読んで以来、私も袋菓子など、器に移して食べるようにしています。
- 森に眠る魚
- 双葉社
- 2013-11-13
- Kindle本
ずっと以前にあった文京区の幼女殺人事件をモデルにしているお話なのですが、
その登場人物の中で一番生活にだらしない女性が、
生活レベルも教養も高いママ友の子供を家に呼んで、袋菓子をそのまま出したら、
その子(お行儀のよい幼稚園生のお嬢さん)に「お皿にあけないの?」とキョトン顔で言われ、怒り狂う場面があるのです。
(キョトン顔は、私の読んだイメージ)
この事件じたい、思い返すと重い気持ちになる嫌な嫌なものでしたが、
この本もなかなかに重い本。でも読後感は悪くなかったと思います。
読んだのは随分前なのですが、その有名ブロガーの方のブログを読んだとき、
ふいに脳裏にこの話しが蘇ってきて。
普段の生活ってだらしなくなるもならないも自分次第。
そこに生活レベルの高さも低さも教養のあるもなしも関係ない。
自分を律する気持ちを持てるか持てないかだけなのだと思うのです。
しかしそうは思っても、水は低い方に流れるのですよね。
そういうときに、
「いやいやいかんだろ」と再び山を登るような気持ちで水を逆流させるのが、
「きちんとする」ということなのかなと。
そこに努力はもちろん大切ですが、
ブログや本がヘルパーとして背中から支えてくれることもあるなと最近思います。
上記のブログの方も、60代での一人暮らしの生活を素敵な美しいものにされていて、
とはいえしっかりリアルな部分もあって、参考やお手本になっています。
元々だらしない性格なので、「きちんとする」は私の中の一生のテーマ。
50歳過ぎても、我ながらまだまだ大人への階段を上り中だと思う夜でした。