お掃除します。

掃除をする日々、また掃除に対して思うことなどを綴ります。

知りたくないし知らせたくない。

身近では祖母や父、親戚のおじさんおばさんは亡くなりましたが、
幸い知り合いの訃報をあまり聞かないでここまで来ました。


が、先日同じマンションの方が去年亡くなられていたことを知りました。


うちのマンション、バルコニーがめっちゃ広いのですが、広すぎてみんなうまく利用できていない感があります。
しかしあるお宅のバルコニーがほとんどイングリッシュガーデン状態。
奥様が手入れが上手でセンスが良いのです。
いつも外から眺めて憧れていましたが、一度だけ拝見させてもらったことがあります。


お孫さんがうちの娘と同じ中高だったので、その縁で会えばよく話しをするようになりました。
ちなみにそのお孫さんは国立残念で一浪した後、私大に進学。そのときには盛大に愚痴を聞かされたのですが、卒業後、その国立の大学院に進学することが決まって、
そのときの奥様の興奮ぶりたるや。
孫の進学先でここまで盛り上がれるなんて、かわいい人だなあと思っていました。


その後、いつもお散歩していたわんちゃんが亡くなったこともあり、もうあまり外で会うことがなくなっていて、去年一度、車の中からお姿を見かけました。


たぶん、ちょっと見栄っ張りな方なので、いつも髪を綺麗に染めてお化粧しておしゃれして自信満々な感じなんですけど、そのときは急激に老けこまれた姿だったので驚きました。
何か見てはいけなものを見てしまった気がして気づかぬふりで通り過ぎたのです。
それからしばらくして亡くなったようでした。


以前は亡くなった方がいるとマンションの掲示板に張り出していましたが、今はもうそんなことはしないので知らないだけで他にもいらっしゃるんだろうな。
というかマンションだけでなく、知り合いや以前の友人の中にもきっと亡くなっている人はいて、ただ私はそれを知らないだけなんだろうなと思ったりしました。


でも変な話し。その方が幸せです。
知ってしまえば最後に会いたかったなあという後悔はあるかもしれないけど、
亡くなったことを知らなくて、「今でも元気なんだろうなあ。いつか会わなきゃなあ」と思っているのは、その人は生きているのと同じというか。
反対に私のことも出来れば知らせずに終わらせる術はないものかと思ったりします。
悲しまれたり、憐れまれたりするのも嫌だしなあ。
「どこかで生きてる」と思っている方が生き残っている方も気が楽なのではないかと。


今回のマンションの方も、とても親しかったというわけでもない人なのに妙に落ち込んでしまいましたから。
こういうことを乗り越えていくのが人生なのでしょうけど。

ソファのブランケットを春物仕様に替えました。


昨日は丸一日かけて、持ち帰りの仕事を今月分終わらせてしまいました。
もう目は真っ赤。頭も疲労しきっていました。
出張が伸びて今月いっぱいになったので、今、やっておかないとたいへんなことになるのです。
こちらでの仕事もあるので時々は帰宅しますが、月末処理とかもどうすんの?私!
来月の準備も!誰かやってくれるのかな。
会社はそんなこと少しも気にしていないの「さすが」です。皮肉です。


働くむすめのことも心配。
そして果たして夫は働くおじさんになっているのか・・・・。


でも今更アタフタしてももうどうにもならないので、ホテルライフ楽しんできます^^。

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