お掃除します。

掃除をする日々、また掃除に対して思うことなどを綴ります。

「いい日だった」と思うために。

おはようございます。
バナーを「ライフスタイル」に変えてみました。
写真は父の別荘の敷地内の畑と蔵。この蔵、父が納屋代わりに使っていたせいで、
中はごちゃごちゃ。
いつかここも整理してみたいです。



少し前の記事で、この本を読んでいると書きました。

もしも一年後、この世にいないとしたら。
もしも一年後、この世にいないとしたら。
文響社

かなり読みやすく、帰省時に行きの飛行機の中で読み終えました。
内容的には、まあよく言われているというか目新しいものはありません。


ただ、父の病気のことがある今、この本を読むのはそれなりに意味があることでした。


そして帰省到着の翌日、
よく晴れた日で気温も暖かい午後、
父と二人で別荘の庭の木の剪定を行いました。


ちょっと鬱蒼とした木がさっぱりし、
落とした枝を一カ所に集め、周りの枯れ葉などもかき集めて綺麗に掃除を終えたあと、
父が「今日はいい日だったなあ」と言っていました。


たぶん、「いい陽気」という意味だったのだと思うのですが、


病気が発覚する数日前に、丁度年末で仕事が休みに入ったので、
父は庭の手入れを始めていて、しかし体調を崩して途中で取りやめていました。


最初の帰省のときにもその話しをしていたので、
ずっと気になっていたのでしょう。


二度目の帰省のときは薬がよく効いていて、本人はとても元気だったので、
やり残したことをやる気になって、更にそれを終えてすっきりした気持ちもあったので、
出た言葉のような気がします。


本の内容とリンクする言葉だったので、
「これが引き寄せというものなのだろうか」と、ちょっと驚いてしまいました。


そして父からこの言葉を聞くことが出来たことで、
「庭掃除を手伝って良かった」と思ったのです。



自分にとって、「いい日(日々)だった」と思える過去を考えると、
やはりそこには必ず「満足のいく掃除や片付けが出来た」ことが存在します。


例えば何年か前の夏、一週間の休みを全部断捨離に使ったとき。
例えば去年の長いゴールデンウィーク中、計画を立てて断捨離と掃除を行ったとき。
例えば今年の年末年始の掃除のとき。


もし家が汚い状態で亡くなるようなことがあったら、なんだか死んでも死にきれない。


「いい日だった」というのは「もうこのまま死んでもいいな」と解釈できるのでは。


そんなわけで、「いい日だった」一日を目指して、
今日もこれから掃除です。

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