「お掃除」の持つ力を大切にしたい。
買い物に行ってきました。
すごかったです。
台風被害に備えて、パンと水程度を購入するつもりでしたが、
なんだか煽られてしまって、ものすごく買い物してしまいました。
買い物前にコンビニに寄ったら、
店員さんに「今日はみんな明日は一歩も出ないつもりの買い物に来てるから、
こっちも慌ただしくて~」と突然話しかけられたりしました。
私と同年代ぐらいの方でしたので、
ご本人も自宅に戻って備えたい気持ち満々での愚痴だったのかもしれません。
そんな私はスーパーでポップコーンの大袋を二袋も購入してしまいました。
レジの店員さんはきっと「明日は一日テレビ三昧のつもりなんですね」と思ったことだと思います。
自宅に戻ったのは予定より遅くなりましたし、
かなりの買い物客にもまれてどっと疲れてしまいました。
片付けや掃除をしたかったのですが、
どうせもうあと数時間もすれば夫や娘も帰ってきて、
荷物をどさっと置いて、綺麗にした部屋を汚してくれるんだろうと思うと、
片付ける気持ちが萎えてしまいました。
明日、綺麗にすればよいだろうとビールを開けかけましたが、
そこで私に神様からだかなんだかの声が聞こえてきました。
「どうせ汚れるとしても、とりあえず一度片付けよ」
そう。そうですよね。
掃除や片付けは、いくらやっても終わりはない。
だから「やらない」とすることは簡単。
だからこそ、「掃除」は気持ちの問題なのです。
やってもやらなくても同じ。
でもやるのです。
きっと、「お掃除」はその単語以上にすごく深い。
とりあえず片付けは頑張りました!
そしてやはり、最終的には気持ちよくなれたのです。
お掃除やお片付けの持っているパワーが何なのかよくわかりません。
でも、お寺のお坊さんたちの修行の一つともなっているのですから、
ただ綺麗にする行為とはまた別の理由が存在するはずなのです。
そんなことをつらつら考えながら明日以降のお掃除計画を立てています。